覚えておくと良いムスリムキーワード(26)
السلام عليكم و رحمه الله و بركاته
アッサラーム アライクム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥ
アッラーの慈悲とアッラーの祝福がありますように
كيف حالك؟
お元気ですか?
بِسْمِ اللهِ الرَّحْمٰنِ الرَّحِيْمِ
ビスミッラーヒル ラハマーニル ラヒーム
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
前回は、「スンナ派」についてお話ししました。
今日は「シーア派」についてお話します。
下の地図で中東を中心にどれだけ、「シーア派」がいるか?を見てください。
黄色が「シーア派」です。
引用サイト: https://www.npr.org/sections/parallels/2007/02/12/7332087/the-origins-of-the-shiite-sunni-split
الشيعة
アル=シーア
預言者ムハンマドが亡くなった後、「カリフ」を誰かにするかで揉めました。
2代目カリフ、3代目カリフと続いていったのですが、4代目を決める時に、世襲でなければならない!という人が出てきます。
※世襲=身分・財産・職業などを、嫡系の子孫が代々受け継いでいくこと。
「従弟で娘婿のアリーこそが後継者だ、と預言者ムハンマドは言っていた」
そこから対立が始まるのですが、4代目カリフにアリーが選ばれた。
やっぱり、「カリフ」は預言者ムハンマドの血筋を引く者でないとだめだ!と考えた人たちは、アリーの息子たちにつきました。
そしてアリーを初代の「イマーム」と呼ぶようになります。
イマーム
「きちんとした教えを伝えていく指導者」という意味です。
そして、アリーの息子たちが2代目イマーム、3代目イマームとなっていきます。
その一方、血筋にこだわらずに、クルアーンやハディース(預言者ムハンマドの言行録)に書いてあることや、イスラムの慣習を守って広めていく指導者でなければならないと考える人たちは、別のカリフを選びます。
この人たちが「スンナ派」と呼ばれるようになります。
一方、アリーの子孫についた人たちは「アリーのシーア」と呼ばれるようになります。
シーアは「党派」という意味です。
だから、本当は「アリーのシーア」という方が正しいです。
ところで、シーア派にもスンナ派のように様々な考えを持つ人たちで分かれています。
十二イマーム派 (イランの国教でもある)
現在のシーア派の中で圧倒的に多く、イラク、バハーレン、レバノンなどにいる。
初代アリー(661年没)以降、十二代目までムハンマドの子孫によって継承された。
そして十二代イマームの時、そのイマームが人々の前から姿を消し、それ以降、幽隠の状態が続いています。
ガイバ(幽隠)
再臨するために信徒の間から姿を消している状態とされています。
十二イマーム派は、スンナ派の考え方を認めていないので、この十二人のイマームの考えに基づいて、その教えを守っています。
中でも、「アーシューラーの儀式」は、第三代イマームのために行う儀式ですので、スンナ派ではない、ということがすぐにわかります。
またイマーム再臨までのあいだ不在のイマームの代理として、イスラム法学者が信者を指導できるとするものがあり、イラン革命で有名なルーホッラー・ホメイニー師がそうです。
ルーホッラー・ホメイニー師について
1979年 イラン革命(ホメイニー革命とも呼ばれる)
皇帝による西欧化に対する反発からイラン革命が起こり、シーア派宗教指導者ルーホッラー・ホメイニーが率いるイスラーム原理主義勢力が政権を奪取。
1979年イラン革命後、「ヴェラーヤテ・ファギーフ(法学者の統治)」という教義を採択。最高指導者がシーア派の頂点に君臨することになった。
ザイド派 (北イエメンを中心に多い。)
去年殺害された、イエメンの元大統領サーレハやフーシ派は、このサイド派です。
※イエメン全体ではザイド派は半分いるといわれているが、同じシーア派でもイスマール派などの細かい分派の人もいます。
十二イマームは、第五代を第四代の息子、ムハンマド・バキールとした。
ザイド派は、別の息子、ザイドとした。
フーシ派
1990年代にイエメン北部を基盤とするザイド派宗教運動「信仰する若者」が発展し、「フーシ派」と呼ばれるようになる。正式名称は「アンサール・アッラー」(神の支持者)2011年以降、イエメン騒乱に乗じて、首都サナアを中心に勢力を伸ばしている。スローガンは「神は偉大なり。アメリカに死を。イスラエルに死を。ユダヤ教徒に呪いを。イスラムに勝利を」。
イスマール派(インド、パキスタンなど)
十二イマームは第七代イマームを、第六代の息子、ムーサー・カーズィムとした。
イスマール派は、別の息子、イスマーイール(ムーサーより先に死んだ長男)とした。
十二イマーム派以上に神秘主義的な性質を持ち、歴史は7000年周期で循環し、各周期は預言者や仲介者の出現によって始まるという世界観を持つ。
10世紀に北アフリカで権力を握り、その一派はエジプトで「ファーティマ朝」(973~1171年)を興したが、最後にはスンナ派の勢力により、シーア派が根付くことなく消滅した。
そして、ファーティマ朝の衰退と共に、「ムスターリー派」と「ニザーリー派」に分裂。
ムスターリー派は、イエメンのスライフ朝のタイイブ派に受け継がれ、時代ともにインド、ミャンマー、東アフリカに、その名残のボホラ派が出来る。
ニザール派は、イランのアラムート要塞を拠点とし、勢力を広めましたが、1256年モンゴル軍によって滅ぼされ、ヒンドゥー教から改宗した南アジアの人々によって、「ホージャ派」が出来る。
下の写真は、パキスタンにあり、1987年にニザール派の指導者アーガー・ハーン4世がこの山村を訪れた記念に彫られたもの。
“Welcome to Pasu Our Beloved Hazar Imam 18 Nov 1987”
【参考文献】
菊池達也
イスマーイール派の神話構造 The Structure of the Mythology in Isma'ilism
(日本中東学会年報 日本中東学会年報 (14), 57-84, 1999 日本中東学会)
中田 考
イスラーム入門(集英社新書)
さて、今日はここまでにしましょう。
وعليكم السلام و رحمه الله و بركاته
ワッサラームアライクム ワ ラフマトゥッラーヒ ワ バラカートゥ
アッラーの慈悲とアッラーの祝福がありますように。
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